神力寺

鬼の塔の伝説2015.9.17

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私が住職をしている大分市竹中にある神力寺を開創したとされる

伊東友純(いとうともずみ)という方には当地に昔から伝わる伝説がある。

その伝説はお寺と神社の間に二つのお墓があり、

それにまつわるお話である

 

【鬼の塔の伝説】

鬼の塔? 鬼の塔?
こうしたよび名をきくだけでも、我々の耳をそばだたせるこの石に。
長い年月の間に苔むして、角はとれ文字は一二と除いて明らかでない、中冬田八幡社の森神力寺の裏手、老杉の繁き林に、何事かを語らんとするこの並び立つ二つの石塔は。
一つは普通の墓石であるが、これと相並ぶ石は、村の人のいい伝える鬼の塔は、円柱形であまり高くない。苔と雑草にうづもれた石塔だ。たたづめば、あの森がこの石が何事かの昔語を話すような気がする所。
一体この森は、この石は、どんなことを話したか、聞き伝えたままを記そう。
今は昔、五百年ばかり前の頃、冬田山に百人力の剛の者がいた。伊東備前守祐家(いとうびぜんのかみすけいえ)といったが、人々は鬼の如き力だと恐れ、鬼の再来だと称して名を鬼神九郎と呼んだという。
ある年 筑前の国に鬼といふ賊が起って戦始まる。我が豊後の国主もあまねく剛の者を集めてこれを平げんとするとき伊東備前守祐家は真っ先に選ばれて出征し、筑前に於て大いに戦う。
鬼神九郎の名に違わず、奮戦大いに努め敵陣を切って切ってきりまくる。されど大勢の敵に味方の小勢では、鬼神と呼ばれた彼等もついに如何ともすること能わずして破れ彼祐家もうらみをのんで討死した。祐家に三郎友澄という子あり、父に劣らぬ剛の者、友澄父の死をきいて「いかに父上よ、無念なりし事ぞ、君の為に戦ふとはいへ遠く筑前の空に討死せしこと、父上必ずや、鬼とやらいう仇、何物たりとも 我必ず討ちて父の心を安んぜん」と。
さて武芸を練っては食を忘れ、膽力を養っては寝を忘れついに鬼の恐るる剛の者となった。
かくて選びぬいた家臣と共に、旅の支度もかいがいしくいざ父の仇を討取らんと、山を越え、谷を渡り、或は深き森をたづね、或は野に伏して征途を進む。
日重なるにつれて元気いよいよ旺んに、困難来るたびに勇気百倍、青春の意気に燃ゆる彼、父の仇を想ふ一念、つゐに山国川の上流に達し、清き流れにのぞをうるおして岩角に腰を下ろして休んだ。
天下に誇る山国川の絶景は何時みても賞す言葉さへ見出さぬ程であった。うっとりと見とれていた三郎友澄が頭を上流のかなたに回そうとする刹那、「うむッあれは!」
青春の血を湧きたたせ、逆流させたもの、而して彼の心をうなられたもの・・・・・それは何か、よろこびとあまさとのひとみに影じたもの?・・・・・それは・・・・・
つやつやとした丈なす黒髪に、顔ははっきりわからぬが、両足し白さをちらりと、桃色の薄衣をすらりと着流したる腰もと、端折ってなまめかし・・・・・嬬もあらわに。
この山国川の絶景を背面にして衣あらう天女か、はた又女神か、友澄は湧き返る青春の鼓動を高ならしつつ、
我と我が身を打ち忘れ、彼女の背後に近づき、燃えさかる情欲の波に?父も仇も、はては己をも忘れて天地にただ美女のみ。
彼が渾身の力にふんわりおほひかぶせた欲望の・・・・・翼が彼女のちぶさに触れたとき「何をするたわけ者めがッそれが父の仇を報ひんとする者の所為か!馬鹿ッ」
一撃、天女の如き女とはうって変ったこの言葉、友澄千貫の鉄槌を脳天からたたきつけられたような、絶壁の上より千仭の谷底に突落されたやうな気がした。
「父にも及ばぬその力で父の仇討ちとは片腹いたいや、まして望みある身のかく女にたわむるるとは、我を忘るる今の様は、汝友澄父の仇を討たんとせばよろしく武を練り、心を鍛えよ、我は正八幡の化身なり必ずや汝の至城を護らん」。
友澄はっとして我にかえってみれば彼女すでになし。「さては我が非をいましめ給うか、有難し・・・・・」感涙にむせびつつ、彼は急ぎ国に帰って冬田八幡に参拝し、祈願こめて、武芸を練り、心を鍛えてぞ時の至るを待つ」日満ちて腕におぼえあり、心に悟る所あり、彼の元気こそ「鬼に金棒」
そのまま。今度こそはと正八幡に祈って出発した。途中事もなく筑前の国に達し、鬼と稱する賊共を父の仇と山に戦い、谷川に追いまくってつひに打破る。その勢あたるべがらず。友澄八幡に謝し父の墓前に事の由を語って大いによろこぶ。彼の本望これに過ぎたるものが又他にあろうか。世の人々みな友澄の義挙を称賛し、武勇のほまれをたたえて、冬田三郎友澄公と云いあがめた。
彼は凱歌をあげて帰国するとき、鬼の子一人を供につれて帰ったが友澄の無二の従者となってよく働いたという。或る年、友澄彼の鬼の子のあまりに働くのをみて大いによろこび、賞して餅八石を供えて馳走す。時に友澄は家臣と共にたわむれに餅の中に白石を多く入れて置き、その食う様をみていると平然として平らげた。友澄また前より大きな石を出して「うまいか、これは冬田河原の名物なり、食えよ」と鬼の子はうなずいてこの石をも平然として平げたといふ。只目をみはるのみ。友澄「かくの如きものと残せば後日必ず災あらん」と、
後家臣に命じて鬼の子を殺させ、ここに葬って弔い墓石を置いて印とした。
友澄死するとき「我が墓を鬼の塔の側に置け」。
(『竹中郷土史』昭和九年発行 抜粋)

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冬田八幡社

 

こんな人が作ったお寺に私は住職をしている。

悠久の歴史の中に自分がいると思うと考え深い

南無妙法蓮華経